中学生の頃
一生を大きく二つに強引に分けたとします。
子供時代と大人時代です。
社会人になったときが大人としましょう。
私にとって、中学三年生の頃の一年間は、子供時代のなかでいちばん愛すべき一年間でした。とくに、ラジオ番組風に作成した、「四次元ジョッキー」は、大人に人に聞かせてもゲラゲラと笑う内容でした。
その当時は、文化祭はほとんどは生徒の作品のみの展示でしたが、UFOや心霊、怪奇で神秘的な資料などを展示したのは快挙だったと今でも思います。
科学クラブに所属していまして、クラブ長になったことをいいことに、科学とはちょっとちがうかもしれない神秘現象を、階段の踊り場で大々的に展示。
ほか、生徒会の歌の作詞をして、選ばれたのですが、翌年あたりにはどこぞへ消えたのか。まあ、授業中に書いたので、罰があたったのかな。
卒業が近い頃、四次元ジョッキーの相棒のH君はモデルガンの趣味に気持ちがいって、ほかの友人たちと一緒にいるようになり、I君とも仲違いをして、心寂しい卒業になりました。
それで、坂井純一君という幼友達だけに北海道に引っ越すことを伝えて旅立ったのかな。坂井君がオリジナル曲をやっていたことに触発されて音楽づくりをはじめたので、S君との出会いがなければ、やっていなかったかもしれない。
父が詩吟の師範。そのあとは追分の師範、カラオケの先生という環境のなか、私も小学三年の頃から、体育館や文化会館、公民館など、たくさんの舞台で歌ったり吟踊を踊ったりしてきましたね。一応、詩吟は二段です。
小学校では、合唱クラブに選択されて、基本から歌を習いました。当時は、歌のうまい生徒を担任の先生が選んで合唱クラブに入れるのでした。
厳しく優しい先生でした。あれだけたくさんの人と歌うとすごい迫力です。
中学三年の頃の級友たちも好きでした。とても素晴らしい一年間でした。だから、ふと級友のなかには心閉ざしているような人もいたから、お節介で余計なお世話だと感じつつも、前回、同級会の幹事に名乗りでて、ライブ同級会を企画。
しかし、相談役からたしなめられて断念。麻生さんになりました。出席の同級会ではなく、参加するものにしたかったのです。芋煮会でも、スポーツでもいい、文化祭や体育祭みたいに参加してみんなと楽しみ、元気になれるようなものをしたかったのです。
ライブは拍手と一緒に歌う参加ができますからね。もともとお酒を飲むだけの同級会はあまり気乗りしないので、私が幹事でやるなら参加型の同級会をしたいと思ったわけです。
今回はなにをいわれてもやり抜きます。
ボーカロイドの動画をアップさせたり、PVを映写したりなどの演出も予定しています。
三つ子の魂いつまでも、とはいいますが、小学生の頃の作文に、「科学者か作家になりたい。地球上にあるすべての謎を解き明かしてから宇宙へ」と書きましたが、今は小説や物書き的な創作活動をしています。神秘的なことにも関心を持ち続けています。あの頃とおなじようなことをしている私が好きです。平均点六十点の私なのですが。(゜▽゜*)
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