ミャーちゃん復活
ミャーちゃん。まだ少し体力が戻ってきていませんが、元気になりました。
\(^-^)/バンザーイ、/( )\モヒトツ、\(^o^)/バンザーイ
月曜日からずっと元気がなくて朝もどこかで一匹、寝ていましたが、久しぶりにミャーちゃんに起こされました。
元気です。
よかった。
ありがとう。
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ミャーちゃん。まだ少し体力が戻ってきていませんが、元気になりました。
\(^-^)/バンザーイ、/( )\モヒトツ、\(^o^)/バンザーイ
月曜日からずっと元気がなくて朝もどこかで一匹、寝ていましたが、久しぶりにミャーちゃんに起こされました。
元気です。
よかった。
ありがとう。
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わがままで、甘えん坊で、ニャンニャンうるさかった元気すぎるミャーがぐったりしていると、とても胸がしめつけられるように苦しくなります。
症状はあまりかわらないみたいです。
たんなる風邪なのか不安なので、改めて精密検査してもらいにいこうと思います。
はやくでなくていいから、少しづつでも元気になってくれたらいいと願っています。
ミャーのおかげで、毎日寂しくなくこの三年間、過ごすことができました。
朝から夜まで、家にいるときは、ほぼ一緒にいたから、ほぼ生まれたてのミャーを猫用のミルクから離乳食で一緒に成長してきたから、ミャーへの思い入れが深いのです。
なぜか、缶詰や鰹節、煮干し、レトルトを食べないミャー。
こうして病気になると、食べにくいカリカリフードしか食べられないのが困りもの。
猫用のサプリメントなどを少し口に入れたりしています。
ミャーのためにも、まずはぼくがしっかりしなきゃと思いますね。
絶対に元気になることを信じて。
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本日、ミャーを病院に連れて行きました。(^_^;
思ったよりも騒ぎませんでした。
おとなしく治療をうけてましたが、ミャーもぼくもドキドキハラハラでした。
ネジでも飲み込んだのか? 悪い病気なのではと、真剣に心配してました。
風邪だと診断されても、まだまだ安心できませんね。
よほど怖くて辛い体験だったのか、ミャーはぼくをさけてます。
下の部屋にいて、ぼくのところにやってこようとしません。
明日も嫌がる薬をあげなきゃいけません。
でも、ミャーが元気になるなら、たとえ嫌われてもやらなきゃいけません。
ミャーに愛想をつかされるのは寂しいけれど、ミャーが健康を取り戻すなら、後悔しません。
きっと、一般的な親も、先生といわれる方々も、上司も、そして神仏や守護し導いているといわれる存在も、子供や人々にたいしておなじ思いでいるのではないかと思いました。
ほんとうに相手のことを思い愛しているならば、たとえ嫌われようとも理解されなくても、ときには相手の嫌がることもしたり言ったりしないといけないのだと思いました。
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愛猫のミャーちゃんが今朝から吐いてごはんを食べずにぐったりしていました。
祈祷と修法をしたら、少しごはんを食べて今は寝ています。
心配しますね。
治ってくれるといいんだけど。
AIBOというロボット犬などには否定的なぼくです。
命あるものは、葛藤し、迷い、ときには感情の海に溺れてしまうものです。
命あるものだから、ときには親にですら反抗します。
命あるものだから失敗したりまちがいを犯します。
命あるものは、それゆえに成長したり退化したりします。
パソコンもソフトもアップバージョンして進化しますが、似て非なるもののような気がします。
ミャーちゃんや命あるものと別れたくないと切実に思います。
別れる悲しみ寂しさ辛さのあまり、出会いを拒む自分がいます。
ミャーちゃんはぼくにとって子供です。
ぼくが生きていこう思っている大きな理由のひとつです。
数年間遠ざかっていた音楽活動を再開させてから、以前の歌をよく聴きます。
青いなぁ、とか若いなぁとか思いつつも、今よりも純粋な叫びに胸を打たれます。
教えられます。諭されます。
どんなに眠くても、その頃の歌を聴くと目がさめます。
しゃきっとしなきゃと思います。
ぼくの歌もまた、ずっとぼくの子供だと思ってきました。
だから、詞をかえられたりするとひどく気分が悪くなります。
アレンジは衣服みたいなものなのでオッケーですが。
いつものミャーちゃんでないと、どうにも調子がでませんね。
元気になってほしい。愛してるよ(=^..^=)ミャー
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最近どうも、太郎だの一郎だの、郎付き名前の人たちが不人気みたいで。
海太郎というハンドルネームは、故郷が漁村で、幼い頃から海と親しんできたから。
今も月にいちどは海を眺めにいきます。
吉巻は、小説の主人公だったのだけれど、どうもなじまないので、海タロウにしました。
海太郎でもあるので、どちらも使います。
以上。=^_^=
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新種インフルエンザ。
思った以上に深刻になっていますね。
なんとか鎮まるといいですね。
最近トライしはじめたのは、オリジナル曲を人工音声のキャラに歌わせること。
「初音ミク」がとても売れたというのは知っていましたが、ヤマハが開発した人工音声のソフトだったんですね。最近やっと知りました。
ずっと自分の声と演奏でやってきたけれど、歌ってもらえるような知人の女性は皆無なので、人工音声でやってみようと。
なにごともチャレンジです。
ボーカルに演奏をつけるのが難しそうだけど。
なんか楽しそうだ。
となりで愛猫のミャーちゃんが寝言をいってます。
可愛いね。
ミャーが生きているかぎり、ぼくも生きていたい。
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ぼくは作詞作曲&小説などの創作をしています。
音楽モードと物書きモードでは、精神的にかなりちがいます。
音楽モードのときのぼくは感性、感傷的、かつエネルギッシュな自分です。
物書きモードのときは、論理的、かつ内省的な自分です。
ものを生み出す。創作するということは、とてもスリリングです。
どんなに努力し集中したからといってよいものやみんなから愛されるものや、自分が納得し自信あるものが生まれるとはかぎらない偶然というか奇跡的なものがあります。
かえってリラックスしていて、ふと、「こんなんできましたけど」
というときがけっこういいものになっていることが多いです。
時間をかければよいものが生まれるとはかぎりません。
かえってあっというまにできたもののほうが自分にとって自信作になったり多くの人から愛されたりします。
創作というものはそういうものです。ぼくにとっては。
創作しているときのぼくは元気で幸せです。
ぼくは創作している人を生理的に魂の友人だと思ってきたのは、創作している人は感性豊かで傷つきやすい人で、おなじ世界の人だと思えるからです。=^_^=
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清水由貴子さんの自殺などに心を痛めています。
みなが「いいひと」だったと語ります。
善人は早死にするなんて言葉が浮かびますね。
いっそ、みんなで「いいひと」をやめたいですね。
誰しもパーフェクトじゃないよね。
長所も短所もある、人間なんだもの。
あれ、どこかで聞いた言葉ですね。(;^_^A アセアセ…
「いいひと」でい続けることってしんどいと思います。
プレッシャーとストレス。
猫みたいにときにはわがままで自由奔放でもいいかもね。
猫は猫なりに気をつかっているように感じるけど。
「天使とデート」という映画を改めて観ました。
感動で涙しました。
天使はこの世界では生きていけないものですね。
ときにはハメをはずしてもいいんじゃないかな。
たまには愚痴をいったり、悪い子になってもいいんじゃないかな。
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「私はぁ-、百%のうち七十%しか力をださない者よりも、七十%の能力を持った者がぎりぎりその能力をだしきる者のほうが偉いと思う!」 私がまだ無邪気な小学生気分が抜けきらない、中学の入学式のあとの、教師になってまだまもない松岡肇先生の第一声だった。
まだ二十代。英語を教え、頭はスポ-ツ刈りで、背はさほど高くはなく、快活な声は教室の黒板に響いて、笑うと銀歯数本がきらりと光るのがみえた。
松岡先生は、私の通った中学校に赴任してくるまで、教室に十五名ほどの素朴な少年たちが集う学校にいたと、のちに聞いたことがある。松岡先生にとっても私の母校が初の担任であり、希望に燃え、情熱あふれる姿が今も私の心に焼きついている。
今思うと松岡先生はかなり型破りだった。 その頃の教師ドラマは『とびだせ青春』などの熱血教師ものをテレビでやっていたが、松岡先生はまさしく熱血教師そのものだった。
学校の規則に反した生徒は男女とわずに教壇に立たせ、頬に平手打ちをくらわすのだ。今だと体罰教師として世間から手ひどい批判をされるだろう。平手打ちをはられた生徒の中には不満な者もいただろうけれど、私にはかえって清々しい痛さに感じられた。なにを隠そう、平手打ちをはられる生徒の中にはたいてい私が入っていたのだ。その後、さすがに平手打ちに関して問題とされたのか、平手打ちではなく頬をつねるものに変更された。
松岡先生のデ-ト現場を発見して友達と一緒になってはやしたてたり、先生の家に遊びに行ったこともある。先生の部屋には、スキ-をしている十歳くらいの少年の写真が小さな写真立てに収まっていた。幼くして亡くなった兄の写真だという。いつもは豪放磊落な先生もこのときばかりは言葉少なく、眉間に皺を寄せ、哀しげにうつむく姿が印象的だった。
私が中学二年生になると、松岡先生は三年生の担任になり、先生に会うことが少なくなった。そんなある日のこと、なにかの用事で職員室に行ったときだ。松岡先生が渋い顔をして、電話の受話器を置いたところだった。そして、教師生活うん十年かと思われるある男性教師が、「松岡先生。あまり深入りしないほうがいいですよ」と、松岡先生に声をかけた。
松岡先生はその言葉には耳をかさずに、またどこかへ電話している。二人の会話をさりげなく聞いていると、どうやら問題ばかりおこす生徒の家に電話しているようだった。 そのあとで何人かの友達に聞きまわってみると、どうやらある生徒がほとんど学校に登校しなくなり、松岡先生がその生徒を再び登校させようと、一人奮闘しているということがあとでわかった。
松岡先生に対する私たち生徒の思いはさまざまだった。松岡先生を快く思わない人もいたかもしれない。それは生徒だけでなく、教師のあいだでも同じであったろう。松岡先生はその当時においても、時代遅れな教え方だったかもしれない。平手打ちの件にしても体罰教師だとして世間から非難されるだろう。しかし、松岡先生の平手打ちは温かいものだった。
体罰が悪くて生徒の心を傷つけるのはいいのか? 執拗なまでの説教は生徒たちの精神に陰鬱な影を落とす。高校受験をちらつかせ、勉強しなければ落後者になると脅迫めいた言葉の数々。受験のための勉強は、外見よりも軟弱な精神の生徒の心に、さまざまなプレッシャ-やストレスの平手打ちは、生徒の心を歪んだものにしてしまう。その形はよく知られたラブマ-クのそれでなく、金平糖のように角がいくつも生えた形になっている。 学校独自で理想的な教育をすることは難しいだろう。現場も知らない官僚たちが今なお牛耳る文部省の方針。窮屈なまでのカリキュラム。だけど一番問題なのは、学歴社会を支持する社会や家庭の意識にある。その意識が変わらないかぎり、真に豊かな教育はなされることはない。
ニュ-スで少年たちがおこす事件をみるたびに、私は松岡先生を思い出す。今もあの頃のように生徒思いな先生だろうか? それとも誰もがそうであるように、挫折し、いつしか情熱を失い、惰性的な仕事に埋没していくだけの教師になっているだろうか? と。
否! 私は信じています。あなたの熱い情熱を、生徒に対する真心を。 私がくじけそうになるときは、あなたの言葉を握りしめ、心の中でつぶやくのです。「七十%だしきってがんばろう!」と。
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もともとSF大好きのぼくです。
SF映画を中心に観てますし。
日本ではゴジラものが好きでした。
スターゲイトは映画で最初に観たときは、そんなにおもしろいと思いませんでしたね。新鮮ではなかったし。
だからテレビ版のSG-1シリーズは観ないままでした。
しかし、テレビ版はおもしろい。ギャグもある。SFの原点をきちんとおさえたうえで、エンターティメントなところがよい。
とくに大佐と少佐、カーターさんがいい。可愛い女優さん。
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